日本のファッションには、ヨーロッパの超高級ハイブランドがなければ語れないほどの重要性があります。
日本人は長年にわたってヨーロッパブランドを深く愛し、ファッションアイテムとして積極的に取り入れ、洗練されたファッションセンスを築き上げてきました。
目次
「エルメス・フェンディ・ヴィトンの歴史」 高度成長期編
戦後の日本では、厳しい生活を送ることが多く、家や家族を失ったりして大きな試練に立ち向かうことが求められました。
しかし、日本人は不屈の精神を持ち、アメリカを恨むのではなく、アメリカと同じく復興に全力を尽くしました。
まじめで勤勉で、器用な手先を生かし、工業製品などの開発に取り組み、次第に経済成長を達成しました。
その成長は驚異的で、わずか数十年でアメリカと肩を並べる高度成長を実現しました。
日本と海外諸国との貿易も盛んになり、様々な海外製品が日本に輸入されるようになりましたが、それらは国産品に比べて高価で手の届かないものでした。
それでも、気軽に手に入らない希少性が価値あるものとして見られ、特にアメリカやヨーロッパのハイブランドに人気が集まり、それらを手に入れることが成功へのステータスとされました。
このような状況が、ルイ・ヴィトンやエルメス、フェンディ、シャネル、セリーヌなどのヨーロッパの老舗メゾンが高度成長期に人気のブランドとして輝く要因となりました。
生活が改善されると、多くの人々が海外の高級ブランドに興味を持ち、少し無理をしてでも手に入れようとする傾向が見られました。
また、海外旅行が一般的でない時代には、高価で希少性のあるブランド品に対する羨望が高まりました。こうした要因から、高度成長期からハイブランドの人気が徐々に広まりました。
「エルメス・フェンディ・ヴィトンの歴史」 高度成長期編②
昭和の高度成長期は、サラリーマンの給与が着実に増え、生活水準が向上していきました。
住宅や家電製品などの生活基盤が整備されると、余ったお金をファッションに費やす人々が増加しました。
大阪万博や東京オリンピックなどのイベントが開催され、海外のファッショントレンドがテレビや雑誌で報道されるようになりました。
ハリウッド女優やアスリートが来日し、彼らが着用する洋服やジュエリーに関心が集まりました。
ルイ・ヴィトンやエルメス、フェンディなどの海外ブランドが注目を浴び、日本にも人気が広まりました。
特に、グレース・ケリー王妃のファッションは多くの日本人女性に影響を与え、彼女の着用するアイテムが話題となりました。
彼女の訪日や愛用するブランドが報道され、日本でも彼女のスタイルを模倣する女性が増えました。フェンディの毛皮コートやヴィトンの旅行バッグなど、彼女の持ち物に注目が集まりました。
彼女の影響力は非常に大きく、日本のファッションに深い影響を与えました。
「エルメス・フェンディ・ヴィトンの歴史」 昭和当時編
昭和時代において、女性のバッグは手提げ型のハンドバッグが主流でした。
このコンパクトで使い勝手の良いデザインは、実用性に加えて品位と控えめな雰囲気が日本の女性に好まれました。
当時、着物を着用する女性も多くいたため、ハンドバッグは洋装だけでなく和装にも合わせやすく、需要が高まりました。
この背景から、ルイ・ヴィトンのハンドバッグも人気を博しました。
特に「パピヨン」は、その形状が日本の女性のニーズにマッチし、爆発的な人気を誇りました。
ブラウンを基調としたベージュ系の幾何学模様が、ファッションにスパイスを加え、装いのワンポイントとして愛用されました。
ヴィトンの幾何学模様は、日本の家紋からインスパイアされたものであり、「モノグラムシリーズ」として知られています。
このデザインは、日本の家紋を連想させる美しいパターンで、日本人の心に自然に受け入れられ、大流行の要因となりました。
また、「モノグラムのパピヨン」は着物ともコーディネートしやすく、幅広い年齢層に受け入れられたのも、その人気の秘密でした。
現在も「モノグラムシリーズ」はルイ・ヴィトンを代表する人気のあるシリーズであり、グラフィックデザイナーやアーティストとのコラボレーションにより、進化を遂げた新しいデザインも登場しています。
日本人アーティストとのコラボレーションは特に注目され、村上隆や草間彌生とのコラボは特に記憶に新しいでしょう。
「エルメス・フェンディ・ヴィトンの歴史」 昭和当時編②
東京オリンピックや大阪万博の開催により、世界が日本に注目する時代が訪れました。
日本はアジアの島国でありながら、驚異的な高度成長を遂げ、先進国としての地位を確立しました。
これにより多くの国々から興味と関心が寄せられ、王室やハリウッドスターなどの海外セレブリティが次々に来日しました。
当時は1ドルが360円で、一般の人々が気軽に海外旅行をすることはまだ珍しく、来日したセレブのファッションに日本の女性たちは感銘を受けました。
メディアで報道される彼らの装いに刺激を受け、自身のファッションセンスを向上させたいという欲求が高まっていきました。
特に王室やハリウッドスターがエルメスのバッグを持って来日する姿が多く、多くの女性たちがエルメスのバッグをあこがれの的としました。
ただし、当時はエルメスの正規店はまだ1号店ができたばかりで、誰もが気軽に購入することは難しい状況でした。
エルメスのバッグは高価で、手に入れることができるのは限られた富裕層だけでした。
その後、バブル経済期にはエルメスの正規店が全国に拡大し、現在では日本中にエルメスの正規店が数多く存在し、多くの女性がエルメスのアイテムを手に入れることができます。
エルメスのバッグは中古市場でも非常に人気があり、正規店以外でも転売ショップや並行輸入店を通じて入手することが可能です。
特にジェーン・バーキンのために開発された「バーキン」や、グレース王妃が愛用した「ケリーバッグ」は日本でも爆発的な人気を持ち、年々価格が高騰しており、資産として保有する人々も増えています。
「エルメス・フェンディ・ヴィトンの歴史」 昭和当時編③
日本には豪雪地帯があり、氷点下20度の気温を記録することも珍しくありません。
こうした地域ではロシアやカナダと同様の寒冷対策が必要となり、古くから毛皮やファーが防寒着として愛用されてきました。
昭和時代の日本では、ミンクのコートやチンチラのジャケットなどが特に女性に人気でした。
高度成長期が到来し、イタリアの高級毛皮メゾンであるフェンディも日本人に愛されるブランドとして知られるようになりました。
フェンディはヨーロッパの貴族や王室に愛される高品質な毛皮や皮革を扱うメゾンであり、日本人もその品質と防寒性の高さに惹かれたのです。
1970年代にフェンディの毛皮コートを手に入れることができたのは、旧華族や大使館の関係者などほんの一部でしたが、後にフェンディは日本で多くの正規店を展開し、毛皮以外にもバッグなどの商品を提供しました。
特にフェンディを象徴するズッカ柄は、スタイリッシュでインパクトがあり、日本人に好評を博し、ズッカ柄のバッグは高度成長期からバブル期にかけて大流行しました。
バブル期にはマンマバゲットシリーズも人気を博し、小脇に抱えるショルダーバッグとしても使用できる便利なデザインと、Fのブランドロゴ金具が特徴で、洗練されたデザインが人気を集めました。
現代の令和においても、バブル期に流行したマンマバゲットがリバイバルされて再び人気を博しています。
まとめ
大阪万博や東京オリンピックの開催により、海外の要人が来日し、セレブのファッションがメディアで頻繁に取り上げられるようになりました。
この時、注目されたのはルイ・ヴィトン、エルメス、フェンディなどのヨーロッパの老舗ブランドアイテムでした。
ルイ・ヴィトンのモノグラムは、日本の家紋をモチーフにしたデザインで、日本人に好まれ、特に高度成長期にはパピヨンが大ブームとなりました。エルメスのバッグもボリードを皮切りに、グレース王妃が愛用したケリーバッグやジェーン・バーキンのために作られたバーキンなどが爆発的な人気を博し、価格も高騰し、資産としても保有されるほどになっています。
高級毛皮ブランドであるフェンディも日本で非常に人気があり、当時はズッカのバッグが流行しました。